命懸けで

今日の記事は結構固めでいきます。鋼並み。


ピカソゲルニカに出会って、これの何が凄いのか知りたいと思った」


私がこのブログで最初に書いたのはこんな話だった。今日は初心に戻ってその答えにちょっとだけ迫ってみたいと思う。今から書くのは、ゲルニカに限らずなぜアート作品に値が付くのか、美術の一体どこに価値があるのか、そういう問いの答えの1つとして私が考えている仮説だ。

 

それを思いつくきっかけはデュフィっていう画家の展覧会をハルカスに見に行ったときのこと。もう5年くらい前になる。それは私が生まれて初めて自主的に行った展覧会だった。その頃はちょうど『美術って面白いかも……』と肝心の何が面白いのかは分からないながらに思っている程度で、初め展覧会のパンフを見た印象も「よく分かんね」って感じだった。

 

ちなみにそのパンフに使われていた絵がこれ。
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典型的なゴッホ系のよく分からない絵。
言うて上手くないよな……とか当時思っていた。有名らしいけど、どこが良いんやろ。

そんなのに行ったのは完全興味本位からだった。良いことあるかも、みたいなテキトーな気持ち。でも、本音ではつまんなさそーだなと思っていたのは事実。当時の私は中学生だ。普通の中学生がデュフィの絵画を見て楽しいか?ただ、今思い返せばそれがかえって私の歪んだ反骨精神をくすぐっていたんだと思う。みんなが面白いって言うものが私は退屈だった。当時の私は右を向けと言われても左を向きたがるようなやつだった。それで、敢えてこういうところに行きたがった。こういうのも厨二と言うのかしらね……。

 

話を元に戻す。単刀直入に言うと、結局通して見てこれはスバらしい!みたいな特別な感動はなかった。面白いことは何もなかった。当たり前と言えば当たり前。会場を出た後も相変わらず、よく分からないものはよく分からないまま。

 

でも1つだけ、思ったことがあった。何も得るものはなかったけど、その考えだけがおまけみたいに私の脳内にあった。

 

その展覧会はデュフィの作品を古いものから順に展示していた。油絵も、デッサンも、チラシの切れ端に描いた落書きみたいなものまであったように記憶している。そのそれぞれにちょっとした解説が付いていて、デュフィの当時の生活とか、社会の状況とかも合わせて理解できるようになっていた(ような記憶があるけど細かいことは何も覚えていない)。

 

その中でデュフィの絵は変化していた。若い頃は結構写実的な絵を描いていた。それが歳を取るにつれぼやーっとしたタッチになったり、荒々しい筆遣いになったり。馬のモチーフにはまって馬ばかり描いてる時期もあった気がする。でも、漫画と違って後になればなるほど画風が洗練されていくようにも見えなかった。むしろ意味不明なものになっていた。


よく分からないけれど、デュフィにとってはこれで洗練させているつもりなのかな、そう思った。


それに気付いたとき、ふとエジプト絵画の話を思い出した。エジプト絵画の中に登場する人や神様はみんな同じように横を向いているけれど、それはそんな風に描く以外の技術がなかったのではなくて、当時の人々は実際そんな風に周りの景色を認識していたのだ……っていう話。絵画が認識を変えていたのか、認識が絵画を変えていたのか、にわかに信じ難いことだが、そういう説みたいなものを聞いたことがある。

 

もしそれが正しいとしたら、デュフィの絵はデュフィが見ていた景色であり、世界の見え方そのものということになる。
あるいはデュフィが見たかった世界とかそういうことになるかもしれない。

 

他人が世界をどんな風に見ているのか、それは永遠に理解できないことだ。これを極端な話にして「今見えている世界は現実なのか、はたまた現実みたいな夢なのか!」とか言い出す人もいる。懐疑主義だったかな。

 

確かなものは自分だけ。我思う、ゆえに我あり

 

その不確かなものを、美術は他人に理解できる形で提示できるのかもしれない。自分の網膜に映った世界ではなく、それが脳みその中の精神世界に投影されたときの、世界の姿……それをキャンバスに表現できたら、ちょっとすごい気がする。

 

多分、技術を磨き、画風を洗練させていくとそういうことができるようになるんだと思う。そして今、巨匠とか呼ばれている人たちはそういうことに成功した人……なのかもしれない。ジミー大西とかは多分違うけど(別に巨匠でもないが)。

 

だとすると、そういう絵にはその人の世界観が詰まっていることになる。色んな経験から形成されたその人だけの人生がその背景にある。それで絵はその人の履歴書になり、生きた証にもなる。だからこそ、画家も命を懸けて、全身全霊で制作に打ち込むことができる。

 

それが美術作品の価値に繋がる……のかもしれない。