エヴァ旧劇考察Air編①「Airは死の前日から始まる物語」
いよいよ劇場版の考察が始まりました。
ここからは細かい演出も含め、めちゃくちゃ丁寧に見ていこうと思います。(どれくらい丁寧かというとワンカ ットごとに見るレベル)
今回は旧劇の前半を占めるAirについて詳しく見ていきましょう。
(今回は世界観考察してないので読み飛ばしても大丈夫です)
今までのお話しはこちらから☟
旧劇場版25話Airはシンジくんが立ち尽くしてるシーンから始まります。
「シンジくん、君なにしとんや」って話なんですが、まず
映画が始まった時点で
シンジくんは既に精神的に潰れた状態
にあるということを押さえておいてほしいと思います。テレビ版25話"終わる世界"では、カヲルくんを殺してしまったことから強烈な自責の念に苦しんでいるシンジくんを見ることができます。
ここから分かるようにシンジくんはかなり精神的につらい状態なのです。ただ、テレビ版では自問自答したり叫んだりうるさいシンジくんが、劇場版ではほとんどしゃべりません。ここがテレビ版と劇場版の対照的なところですね。劇場版のシンジくんはとにかく徹底的にしゃべりません。なのでただでさえ分かりにくい話が余計分からなくなるんだと思います。
敢えて分かりやすくこの時のシンジくんの状態を説明するなら、鬱、無気力、自殺念慮って感じだと思います。いつも一人で、目がうつろで、口を開けば「助けて」「何もしたくない」「死にたい」が出てくる。今のシンジくんはそういう状態です。だから劇中ほとんどしゃべらないんです。しゃべれないと言った方が正確かもしれません。
精神的に疲弊した人間をテレビ版よりリアルに描写しているんだなと筆者は感じます。なんでこんなこと言うかというと(こう言うと失礼かもしれませんが)庵野監督は"病んだ人間"の描写にかけて超一流の作家だからです。もしそれを感じてみたいという方は庵野監督の『式日』という映画をぜひご覧になってください。庵野節がバリバリに効いた、彼の世界観が垣間見れる、超クールな映画です。
また、演出的なことを言えばシンジくんの"心の声"の描写が意図的に排除されていると言うこともできるでしょう。鬱で無気力と言っても別に頭の中まで真っ白というわけじゃありません。シンジくんは間違いなく色んなことを感じ、考えています。ただ語らないだけです。
そこで、冒頭のシーンに戻りましょう。汗だくのシンジくんですが、髪は濡れてないっぽいのでどうやら水をかぶったりしたわけじゃないようです。また旧劇考察⑥で詳しく述べたようにここはカヲルくんと出会った思い出の場所です。想像するにこの炎天下の中、汗だくになるまでずーっとそこにいたっていうことでしょう。なんのために?
カヲルくんを思うため、以外にありません。
筆者が露骨だなと思うのは途中で挿入される上のこの一連のカットです。これ、カヲルくんの最期ですよね、どう見ても。考えすぎかもしれませんが。
また、テレビ版24話の最後、シンジくんが同じ湖畔で体育座りして落ち込んでいるシーンがあります。
Airは24話の続きです。ここから思うにシンジくんはカヲルくんを殺してしまってからもよくこの湖畔に来ていたんでしょうね。
もともとここがお気に入りの場所だったのか、それともカヲルくんと出会ったことでここが思い入れのある場所になったのかはわかりませんが、ともかくよくここに来て、そして自分がやってしまったことを胸の内で反芻していたのでしょう。
カヲルくんは遺体や遺品みたいなものを何も残しませんでしたから、彼の存在を感じようと思えばここに来るしかなかったのかな?とも想像します。
ともかく、たとえ真夏の炎天下の下だったとしても長時間いられるくらいシンジくんにとってこの場所が大切ってことです。この場所、ひいてはカヲルくんの存在が、シンジくんにとってどれほど大きいものだったかということが容易に想像できる大事なシーンです。
さて、カヲルくんの不在を噛み締めたシンジくんが次に向かったのはアスカの病室です。ここでシンジくんの超絶射精シーンが見られるわけですが、ここも要するにシンジくんの精神的なダメージを示すシーンだと思います。そういうことをしてしまうくらいシンジくんの心はボロボロだということです。それまでのお話しを見ていれば、シンジくんが日常的にそういうことをやってしまうクソ野郎というわけではないということは分かると思います。実際このあと、シンジくんは自分のやってしまったことをものすごく後悔して余計鬱になってしまうくらいですから。シンジくんは他人を堂々と傷つけられるほど傲慢でもなければ自己中心的でもありません。
カヲルくんの不在を噛み締め、アスカの不在から精神的弱さを露呈したところで、第25話Airのアイキャッチが入ります。(このアイキャッチマジかっこいい)
今のシンジくんはこういう状態ですよっていう前説明が終わり、いよいよ映画が始まります!って感じです。
ここでカヲルくん→アスカときて、あれ、レイは?となるかもしれませんが旧劇場版において
レイはシンジくんにとって最早人間じゃない
(=友だちでもなくただ怖いもの)
になってしまっているということも押さえておきましょう。
24話でシンジくんはレイのこういう姿↓を目撃してしまっています。
レイは父親ゲンドウの怪しげな計画によって作られたものだとシンジくんは分かっているのです。父親を憎み、怖がるのと同様に、レイもシンジくんにとってはもう理解できない、怖い存在になってしまっています。だからシンジくんはレイに助けを求めることはしませんでした。(このことは後に起こるサードインパクトにも少し影響します)
そういう点から言えば、この映画で最も報われなかったキャラクターはレイなんじゃないかとか作者は思ったりします。レイの中身は確かに人間ではありませんでした(旧劇考察⑤)。しかしヒトの形をして、ヒトと触れ合い、ヒトの愛情やぬくもりを理解しつつありました。そればかりか、それに応える形でシンジくんに対して愛情を示そうとさえしていました。でもそれが報われることはありませんでした。
そこまでだったらまだいいんですが、レイの切ないところはそうやって他人に拒絶されても、レイ自身は誰のことも拒絶しなかったということです。それどころかサードインパクトの際は、常にシンジくんに寄り添い、シンジくんの願いを聞き、それを実現させる役割を果たしています。徹底的な無私無欲の精神が垣間見えます。人間ここまで無視無欲でいられるものでしょうか。
さて、シンジくんの現状説明が終わり、25話Airのアイキャッチが入った後、映画は雑多なシーンが少し連続します。色々注目するポイントはあると思うのですが、ここでは"時間の経過"に少し注目してほしいです。
まず、アイキャッチの後、最初に出てくるのはネルフの映像です。ここで日向マコトは
補完計画の発動まで自分たちで粘るしかないか……
という言葉を残します。直後、画面いっぱいにカウントアップするタイマーの映像。
その次に映るのはミサトさんです。
日が暮れ、辺りは薄暗くなってきています。
その次、ゲンドウがゼーレと対決するシーンを挟んで(ここについてはまた後に詳しく考察します)レイが目覚めるシーン。
満月が高い位置にあるのでもう夜も更けてかなり遅い時間だと推察できます。
そして眠れないシンジくんのカット。
そして夜明けのカット。
眠れないシンジくんの直後がこのカットなので「あーシンジくんはあのまま一晩中眠れなかったのかな」みたいな想像もしてしまいます。それからセカンドインパクトの真相を探るミサトさんのカット。
6:00になった瞬間データが削除され、画面がDELETEDの文字で覆われます。
そしてゼーレのネルフ侵攻とサードインパクトが始まるわけです。
筆者に言わせれば
こんな露骨な時間経過描写はない
です。
ネルフのシーン(12:49なのでお昼頃)
→ミサトのシーン(夕方、日没直後? 日本は常夏なので19時くらい?)
→レイ、シンジのシーン(夜中)
→夜明けのシーン(早朝)
→ミサトのシーン(朝6時)
きれいな時間経過です。要するにこれ全部一晩で起こった出来事だったんですね。
また先ほど挙げたマコトの
補完計画の発動まで自分たちで粘るしかないか……
という言葉と6:00ちょうどにゼーレが動き出したことからサードインパクトが決行される日時は事前に予定されていたようです。
そこから、上に書いたシーンは全て予定されたサードインパクトの前日に起こったものだということが分かります。冒頭のシーンも、シンジくんの超絶射精も、ゼーレとゲンドウの対決もみんな人間が人間として存在できる最後の日の出来事だったということです。これらが一日で全部起こってるとすれば情報量としては結構密ですね。
また、メタ的な視点で言えばここに出てくる人たちは後数時間で死ぬことが運命づけられているということもできますね。人生最期の数時間を見ていると思えばこれらのシーンの印象は少し変わってきます。
旧劇考察①で述べたようにAirは"死へ向かう物語"です。その観点から言えば「Airは死(=サードインパクト)の前日から始まる物語」だったんですね。
また映画冒頭、シンジくんがアスカのお見舞いに行くシーンでは
東棟の第2・第3区画は本日18時より閉鎖されます。引継ぎ作業はすべて16:30までに終了してください
というアナウンスを聞くことができます。
どういう形で知らされていたのかはわかりませんが「明日何かが起こる」ということは極秘事項でもなんでもなく、結構広く知られた共通認識だったんでしょうね。
さて、ここで先ほどのミサトさんがパソコンを見ているシーンにまで戻りましょう。
ミサトさんはこの画面を見て
そう、これがセカンドインパクトの真相だったのね……
という言葉を漏らします。
つまり
この画面にセカンドインパクトの真相が記されてるってことじゃないですか‼‼‼‼
早速和訳してみましょう。
(以下和訳。ここの英語難しい……誤訳してたらすいません)
(前文は途切れて見えない)
大阪の周辺に住んでいた元大学生を含むあるグループが協力してGEHIRN(ADAMに関わる計画)を企画した。
3.この出来事において最も注意を引いたのはコンベンションのオープニングで流されたアニメーションだ。この見世物はプロのスタジオの力を全く借りずに作られたもので、このコンベンションのためだけに作られていた。5分かそれくらいだったが、それはこのコンベンションのボランティアスタッフがひと夏丸々かけて仕上げたものだった。それを作ったスタッフは少しアニメ制作の知識(といってもそれは十分な知識とは言えないが……)がある美大の学生数人を中心に構成されていた。付け加えると、このようなコンベンションでは手作りのモデルキット(ガレージキット)やTシャツのような商品も一般的である。
4.経験を積むため、コンベンションの中心メンバーは"SECOND IMPACT"というADAMの専門店を立ち上げた。それは日本で初めてSFに関連する商品を並べて販売する店舗だった。SEELEと連携することでこの店舗はアマチュアのイベントを後援し続けた。
5.2002年、ADAMはSEELE(SECOND IMPACT)として大阪に帰ってくるとオープニングアニメーションを作り始めたが、それは素晴らしい評価を得た。SEELEのようにこれも独立して作られたもので、5分かそれくらいの映像だったが、質としてはプロレベルであるとして喝采を受けた。アマチュアの領域からプロのアニメ界へ最終的に乗り出してきたこの作品は"GEHIRN--オネアミスのセカンドインパクト"である。それは当時24歳だった山賀博之が監督し、おもちゃメーカーのバンダイによる初めてのアニメ映画として制作された。ゲヒルンの様々な特撮……(途切れて見えない)
そしてこの映画を作るために2012年12月、アニメ制作会社であり、ジェネラルプロデューサーであり、販売会社であるGEHIRN.が創設された。
(0と1の羅列)
7.GEHIRNはオリジナルアニメシリーズ"トップをねらえ!"のvol.1‐3と、NHKアニメシリーズ"不思議の海のナディア"を制作しはじめた。そしてオリジナルビデオアニメ"オタクのビデオ2011"と"SECOND IMPACT"を制作した。これは「オタク」の歴史に焦点をあてつつ、同時にGEHIRN自身の歴史も茶化しつつ紹介するものだった。
8.これらの才能ある人々はGEHIRNの特撮作品という体でアマチュアの映画作成活動をすることも思いついた。2001年から2003年の間に彼らはADAM(大日本愛国軍)、EVA-00(帰ってきたウルトラマンのパロディ)、ADAM(ヤマタオロチの復讐)を支援を受けながら作成し、様々な地域で上映した。
9.そしてこの映画を作るために2012年……(ここから先は上と同じ文章のコピペ笑)
以上、和訳でした。
完全な内輪のネタでした笑
実際にあったことの記事を書いて、その中に出てくる固有名詞部分をADAMとかGEHIRNとかエヴァ作中の固有名詞に置き換えたって感じですね。読む感じ同じGEHIRNでも場所によって違うものを指しているようなので、その辺の置き換えはホントてきとうみたいです。
次のお話し☟
今まで書いた記事で個人的に気に入ってるやつ☟