エヴァ旧劇考察Air編②「戦争開始、ゼーレvsネルフ」

エヴァ旧劇考察Air編第2弾です。

今回もまだ世界観考察はそんなにしていません。気付いたらメタ的な話ばかりになってました……。

 

ついに対立したゼーレとネルフ(ゲンドウ)。

 

サードインパクトのありようについて決裂した二者による全面戦争が始まります。

 

今回はこの辺を深く見ていきましょう。

 

前回の記事☟

tomaonarossi.hatenablog.com

 

 

目次

 

と、本題に入る前にエヴァの演出というか映像作りの話を少ししたいと思います。

ピントの話

言うまでもなくエヴァはアニメーションです(と言っても"まご君"にはまさかの実写パートがあるのですが笑)。しかし、まるで実写映画のように(あるいは庵野監督が好きな特撮映画のように)、シンジくんたちを被写体としてそこにカメラを向けているかのような映像作りがいたるところでなされています。その例の1つがこのピントを動かすという手法です。

 

例えばミサトさんが登場するこのシーン

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夕暮れの芦ノ湖の風景が左から右に流れていきます(=カメラを右から左に振る)。

そしてカメラのピントがぎゅっと手前に寄ってミサトさんが映るバックミラーに焦点。

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先の映像は実は車内のミサトさんから見える風景だったということが分かります。

 

他にもこんなシーンがあります。

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ネルフのMAGIにゼーレがハッキング攻撃をしかける場面。

もともと冬月にピントを当てていますが、次の瞬間にはそれをぐっと遠ざけ、奥に控えるゲンドウに焦点を当てています。

こういうキャラクターを被写体としてそこにカメラを向けているかのような映像作りは画面を劇的に見せるためのちょっとした工夫の1つと言えるでしょう。

 

ところでなぜこんな細かい話をするかと言うとですね……。

 

サードインパクト時に露骨にシンジくんを被写体化する描写があって、その被写体化という行為自体が世界観考察のカギを握ってくるから

 

なんです。

ちなみにここなんですが☟。

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「このシーンって何?」とか「なんで夕日が二つ?」とかいう話もそのうち細か~くやっていきます(お楽しみに)。

 

もはや雑談の域になりますが、演出的な面ではもう一つ指摘したいことがあります。

視線の話

先ほど挙げた冬月先生をもう一度見てみましょう。

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よくよく考えればこの冬月先生「どこ見てんの?」って思いませんか。この冬月先生の視界にゲンドウが入ることは立ち位置的にありえないですよね。ゲンドウは冬月の後ろにいるわけですから。これは、実際見えてないのに見ているかのように映すことで、視線の先の注目対象に視聴者の意識を持っていくという演出的効果を狙ったものと言えます。この手法、よく出てくるんですよ。たとえばこれ☟

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マヤの視線の先にゲンドウと冬月。しかしマヤの視界に彼らが実際に入っているわけではありません。露骨な”見えてないのに見ているように映す”手法が使われていますね。他にもここ☟

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このような”実際見えてないのにそれを見ているように映すことで場面を盛り上げる手法”を効果的に使った有名なドラマがあります。

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はい。

家政婦は見た!』です。

以前テレビで主演の市原悦子さんがおっしゃっていたのですがこのカット、実際には見えないくらいのギリギリのところでやるんだそうです。確かに言われてみれば扉の陰でギリギリ何も見えてなさそうな感じしません?笑 視線の対象はこのドラマでは派遣先の家庭のスキャンダルとかそういったものですね。市原悦子さんいわく、こうすることで緊張感のあるカットが撮れるんだそう。

視線をどう使うかというのは映像を作る上では大事なポイントなんでしょうね。

 

あと少し話は変わりますが、旧劇場版エヴァでは今後この"目"というモチーフがいたるところで使われるようになります。なのでそういう観点からもこの「目に注目する」という視点は少し頭の片隅に置いておいてください。

目が意味を持って描写される例☟☟

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さて、長すぎる前置きはここまでにして本題に入りましょう。

 

ゼーレ侵攻(MAGI編)

いよいよ全面戦争に突入したゼーレとネルフ(なぜ戦争が起こったのかは後の考察で)。

 怒ったゼーレはネルフを占領するべくまず

MAGIのハッキングに乗り出します。

それだけ? と思うかもしれませんが冬月先生が本編で「MAGIの占拠は本部のそれと同義だ」と言っています。細菌型の使途がMAGIに取り付いた13話ではリツコの「MAGIを切り捨てることは本部の破棄と同義なのよ」という言葉もあります。

ここからわかるように MAGIの占拠=ネルフの敗北です。

13話ではMAGIが乗っ取られたせいで危うくネルフ本部が爆散消滅しそうになってましたね(1つのAIにそこまでのことができてしまうって組織としてやばい気もしますが)。MAGIの権限というのはマジで超でかいってことです。

 ここでMAGIについて少し振り返りましょう(13話)。

リツコ「人格移植OSって知ってる?」
ミサト「ええ第7世代の有機コンピュータに個人の人格を移植して思考させるシステム。エヴァの操縦にも使われている技術よね」
リツコ「MAGIがその第1号らしいわ」

 実際MAGIの中心部は脳みそみたいなデザインになっています。

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 この人格の再現であるMAGIの存在はエヴァという世界を理解する上で地味に大切な仕組みです。エヴァ旧劇考察①のラストでちょろっと述べたように、エヴァというのは究極的には「ヒトは進化の果てにどこへ向かうのか」というお話しであり、言い方を変えれば「ヒトとは何か」「ヒトの本質とは一体何か」を追究するお話しでもあります。例えばテレビ版最終話なんかは露骨で、シンジくんは観念世界で「僕って何なんだ!」と繰り返し叫んでいましたね(同じこのセリフを4回は言ってる)

これを踏まえた上で筆者はヒトの本質を究極まで機械的、物質的に解釈した結果の1つとしてMAGIという仕掛けが用意されているんじゃないかなと想像します。"ヒトの持つ感情も思考も人格もみんな脳が作る電気信号である"、"ヒトの本質はこの電気信号そのものである"、"その電気信号を再現できればそれはヒトである"という思考です。実際リツコは作中何度もMAGIに向かって「母さん」と呼びかけています。リツコにとってMAGIは単なるコンピュータではなく、母の分身か、あるいは母そのものなんだということが分かります。科学者であるリツコらしい言葉ですよね。MAGIをこんな風にヒト扱いしているのは作中リツコだけです。

同じ考え方が土台にある映画として『MATRIX』が有名ですね。『攻殻機動隊』にも似たところがあります。エヴァ攻殻機動隊も1995年の作品でマトリックスは1999年の映画なんですよね……なんかそういう考え方が流行ってた時期なんですかね?笑

 

ゼーレ侵攻(戦略自衛隊編)

"MAGIのハッキング"というゼーレの試みはリツコの 奔走により失敗に終わります。そこでゼーレは戦略自衛隊(通称: 戦自)を派遣し、ネルフを武力によって直接占拠しようとします。この辺りから物語が破滅に向かって一気に加速していきます。

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戦略自衛隊(この辺の兵器の作画すごく凝ってる)

目立つのはやっぱり残酷な描写が多いところです。死んだ仲間を泣きながら引きずるネルフ職員が銃殺されるシーン。手を挙げて投降するネルフ職員を撃ち殺し、倒れてもなお執拗に銃弾を浴びせるシーン。火炎放射機を人に使用する戦自……。中々きついものがあります。デカダンスというか、世紀末というか、世界の終わりが近づいているという感じがします。ここで筆者が注目したいのが以下のシーンです。

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肩を支えあい歩く戦自隊員の上に……

戦自侵攻の後、エヴァシリーズがネルフに投下されるシーンです。

見えにくいのですがよく見ると戦自隊員がエヴァの下敷きになってますね(映像だともう少し見えやすい)。左手前のピントがぼやけてるのも隊員の亡骸でしょうか。蹂躙されるのはネルフ職員だけではないようです。戦自によってネルフは蹂躙され、その戦自はゼーレによって道具にされるという権力構造を垣間見ることができます。(あとよく見たら公衆電話の受話器がポロって落ちてるのが作画が細かくてかわいい)

 

 ともかく一貫して見ることができるのは「命が軽く扱われる様子」です。言い方を変えれば「ヒトが簡単に死ぬ様子」でもあります。なんでこんな描写をわざわざ劇中に入れたんでしょう。一回もストーリーに絡んだことのない無名のネルフ職員や戦自の死亡シーンがなぜ必要だったんでしょうか。

「その方が盛り上がるから」

「アスカや他のネルフメンバーの未来の伏線」

それもあるでしょうが、それだけではないと筆者は思います。

結論から言えばヒトは弱く簡単に死ぬ儚い存在だということを見せるためなんじゃないかなというのが筆者の見解です。極めてシンプルです。繰り返すようにエヴァ「ヒトとは何か」を追究する物語でもあります。だから物語を進める前に、「ヒトは元来とても弱く、簡単に壊れてしまう儚い存在である」ということははっきり示しておきたかったんじゃないでしょうかね。

(なんでこんなことを言うかというと"まご君"と似た展開の映画『伝説巨神イデオン』において、監督の富野由悠季が同じ趣旨のことを自分で言ってたんですね……。作中に残酷な死亡シーンを入れたのにはこういう意図があるんだって。まあ展開が似てるだけの全く違う映画の話なので参考にはならないんですが)

 

 さて、ネルフ vs 戦自の戦いは戦自の圧倒的優勢で進行します。ネルフは大ピンチです。状況をまとめると

・N2兵器で地上を吹っ飛ばされネルフ本拠地が丸裸

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ネルフ丸裸。地上の川の水が行き場を失って滝のように落ちてきている

ネルフ本部は元々地下の謎の空間(=ジオフロント)に作られた施設です。 いわば天然の要塞なわけですが、こうなってしまえば最早要塞的価値はありません。また外部との電源やネットワークが完全に遮断され孤立状態ということも加えておきましょう。

 

 ・初号機は確保され、パイロットも不能状態

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戦自の注入したベークライトでガチガチに固定された初号機

この時点で初号機はすでに戦自に確保されています。ネルフも戦自の侵攻を足止めするためにベークライトを施設内に注入するシーンがあるのでそれとごっちゃになるかもしれませんが、初号機をこんな風にしたのはあくまで戦自です。戦自の無線をよく聞けば分かります。また、パイロットも精神的に参ってしまって体育座り以外の挙動をマジで全くしません。 

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シンジくんは常に体育座り。車内ですら体育座り

ちなみにミサトさんは初号機がすでに確保されているのを無線で知っていながら無理やりこんな状態のシンジくんを初号機の元へ連行しました。鬼畜です。

 

・零号機は既に破壊され、弐号機がかろうじて残っているがそのパイロットも不能状態

忘れがちですが零号機は第16使途との戦いで爆散して消滅しています。弐号機はかろうじて残っていますがパイロットはご存じの通り動けません。

 

つまり、このときのネルフは守ることもできなければ攻める戦力もない絶望的な状況というわけです。

 

ところが、どういうわけか、いきなり都合よく弐号機が覚醒することで状況は変わってきます。

なぜ急にアスカと弐号機が覚醒したんでしょうか。弐号機の中にいたのはアスカのお母さんなんでしょうか。そんでもってなんで弐号機はエヴァシリーズに負けて、時期を見たように初号機が覚醒したんでしょうか。

次回はこの辺りに焦点を当ててみていきましょう。山場です!!!!

 

 

 

続きのお話し☟

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