エヴァ旧劇考察Air編③「覚醒弐号機」
戦略自衛隊(=戦自)の侵攻により壊滅的なダメージを受けたネルフ。
しかし、弐号機が覚醒することで状況が変わってきます。
前の記事☟
目次
まず弐号機覚醒までの流れを簡単に振り返ります。このときアスカと弐号機は戦自の侵略を逃れて地底湖の底に隠れていました。
既にネルフを制圧しつつあった戦自は湖の中にどんどこ魚雷を放り込むことでこの弐号機の破壊を試みます。
上のシーン、弐号機とのシンクロ率が低下していたアスカですが痛覚は依然シンクロしていることが分かります。エヴァを起動できないほどシンクロ率が低下していたアスカ(23話)が鮮明に痛みを感じるほど弐号機と感覚を共有しているというのはどういうことでしょう。ともかく、その"痛み"をきっかけに死を意識したアスカは恐怖から感情を爆発させ、そこで"母らしき幻"を確認します。
こうして弐号機が覚醒しました。
この記事ではこの辺りを詳しく見ていきましょう。
幼児退行したアスカ
まずこの時のアスカですが、筆者は幼児退行していると思っています。根拠はまず下の一連のカット。
この一瞬挟まる波のカットなんですが、波はキャラクターの現実と精神の境界の暗示だと考えてください。だから波を挟んだ後に出てくるのはアスカの精神そのものの像です。この波のカットが出てくるシーンは他にもあって例えば20話☟。
波の映像の前後で、現実の描写と精神の描写が切り替わるのが分かりやすく確認できます。
また、時間的にAirと同じであるテレビ版25話ではアスカのことを指して「分離不安」であるという描写も見られます。これ、幼児に典型的な精神症状なんです。
さらにこの時のアスカは弐号機と異常にシンクロしているというのにも注目しましょう。先ほど本来なら起動もできないほどシンクロ率が落ちているはずの弐号機となぜか痛覚を(それもかなり鮮明に)共有しているという話をしました。このことは他にもこんなシーンで確認できます。
機体のダメージがパイロットの肉体に反映されています。これは今まででは考えられない異常なシンクロ率と言わざるを得ません。1話サキエル戦で初号機の頭が破壊されたときも、19話ゼルエル戦で弐号機の腕と頭が吹っ飛んだときも、痛覚の共有こそありましたがパイロットの肉体にこうも露骨にダメージが入ることはありませんでした。
話が少し逸れますが、ここから例えば上のシーンについて、アスカの右腕がぱっくり割れるこのカットは演出なんかじゃなく、少しショッキングですが現実にアスカの右腕がこうなったんじゃないかという想像ができます。
このことは"まご君"のラスト、全てが終わった後のアスカが左目と右腕を包帯で巻いたいで立ちをしているところからももっともらしく思えます(詳しくは後述)。
この異常なシンクロ率はやっぱりアスカが異常な精神状態じゃないと説明できないだろうというのが筆者の主張です。
作中で散々言われていたようにシンクロ率というのはパイロットの深層心理を反映するものです。自分の存在価値に疑問を持ったり、不安を感じているとシンクロ率は低下します。このときのアスカにはそういったものが全くありません。彼女にあるのはただシンプルに「死にたくない」というのと「ママが見てるから頑張る」この二つだけです。これを幼稚と言わずしてなんと言いましょう。逆にこのシンプルさ故に異常なシンクロ率が出ていると考えれば……色々辻褄が合います。
こういうところからアスカは幼児退行しているという見方ができます。印象的な「死ぬのは嫌死ぬのは嫌……」と極度に死を恐れる(割にうずくまったまま何もしない)アスカの反応や、やたらと"ママ"にこだわり"ママ"に執着する幼稚としか言いようがない行動はここからきているのです。
弐号機にはアスカのお母さんがいるのか?
こんな状態のアスカが見たという"ママ"は本当に本物の母親なのでしょうか? 映画だけ見ていると本物にも見えるのですがよくよく考えると不自然な点が実はいくつもあります。ここでは弐号機にはアスカの母親の魂が入っているのか?という問題を見ていきましょう。
ちなみに筆者は「弐号機にアスカの母親はおらず全部アスカの妄想だった」と思っています。
根拠① 弐号機から聞こえた「一緒に死んで頂戴」
アスカが「死ぬのは嫌」と連呼しているとき、弐号機からアスカの母のものらしき声が聞こえてきます。その声は「まだ死なせない」「死んではダメよ」などアスカを守ろうとする声なのですがよく聞くとその中に「一緒に死んで頂戴!」という声が混じっているんですね。この言葉はアスカが幼少期に実際に母親に言われた言葉であり、彼女のトラウマを作った言葉でもあります(25話)。本来アスカの記憶の中にしかないはずの言葉が聞こえてくるというのは一体どういうことでしょう。アスカを守ろうとするその声も、アスカが見た母の姿もみんな幻覚でアスカの妄想に過ぎないという気がしてきませんか?
根拠② アスカの母の死と弐号機の製造時期
作中アスカの母はまだ開発途上のエヴァと不完全な接触をしたため精神が崩壊し、自殺したことが明らかになっています。明らかにアスカの母親とエヴァとの接触は失敗だったのです。
「仮定が現実の話になった」
「因果なものだな。提唱した本人が実験台とは」
「では、あの接触実験が直接の原因というわけか」
「精神崩壊。それが接触の結果か」
「しかし、残酷なものさ。あんな小さな子を残して自殺とは」(22話)
恐らく「エヴァからの浸食」「逆流」が起こって精神崩壊に至ったんでしょうね(これはエヴァとのシンクロに失敗したときによく出てくる言葉です(例えば14話))。こんな人の魂がエヴァに入っているとは考えにくいです。
また弐号機って恐らくかなり新しい機体です。アスカ自身弐号機を最初の制式タイプと呼んでいました。つまり、初号機や零号機の戦績を解析して弐号機が完成したっていうことです。実際テレビ版では8話になってようやく弐号機が登場しました。これはヤシマ作戦の後です。それまで弐号機はそもそも完成すらしてなかったってことだと思います。
これに対してアスカ母の自殺は文脈からしてエヴァ開発のかなり初期の段階の出来事です。当然初号機完成の何年も前の出来事です。
こんな新しい機体に、そんな昔になくなった人の魂搭載するでしょうか。筆者はちょっと不自然だと思います。
こういうわけでアスカの母が弐号機に入っていると考えると作品の設定上色々厳しいところがあるんですね。
エヴァには魂がある
ところが話はそう単純ではありません。それは以下のようなセリフがあるからです。
レイ「心を開かなければエヴァは動かないわ」
アスカ「心を閉ざしてるってえの? この私が」
レイ「そう、エヴァには心がある」
アスカ「あの人形に?」(22話)
カヲル「この弐号機の魂は今自ら閉じこもっているから」
カヲル 「ありがとう、シンジくん。弐号機は君に止めておいてもらいたかったんだ。そうしなければ彼女(=弐号機の魂)と生き続けたかもしれないからね」(24話)
リツコ「アダムから神様に似せて人間を作った。それがエヴァ」
シンジ「人……人間なんですか?」
リツコ「そう、人間なのよ。本来魂のないエヴァには人の魂が宿らせてあるもの」(DEATH(TRUE)²)
作中繰り返しエヴァには人の魂が入っているということが確かに示されているんです。
これをどうにか解釈しないといけないのですが、筆者の考察はこうです。
・エヴァは製造段階で任意の人の魂が搭載され完成する
・アスカとシンジの母親は魂を搭載したエヴァのコアとパイロットをシンクロさせる実験の犠牲者に過ぎない
根拠はまず以下のシーンです。
旧劇考察⑤で述べたように人はリリスから生まれ、リリスに導かれて死にます。レイに見守られるという形で映画上はそれが表現されていました。サードインパクトが終わった後、初号機は役目を終え、レイに見守られながら色あせていきます。これはどう考えても初号機が死んだことを意味します。そしてそこにレイがいる以上ここで死を迎えたのは人の魂以外ありえません。エヴァに人の魂が入っていなければここでレイが出てくるはずがないんです。
間違いなく
エヴァは人の魂を搭載して完成するのです。
言い方を変えれば
エヴァのコアは人の魂
とも言えるでしょう。
そして、ここで初号機の死と共に死んだのはユイさんではないというのがポイントです。
じゃあ誰が死んだのか?
「ユイさん以外の魂(=それがエヴァそのものの魂)」としか言いようがありません。
エヴァとのシンクロに失敗し「エヴァからの逆流」が起こってアスカのお母さんは精神崩壊した、と先程書きました。ユイさんが帰らぬ人になったのもエヴァとのシンクロに失敗したからです(そして、ユイさんの魂は初号機の中に取り込まれました(旧劇考察③参照))。二人ともエヴァのコアを作ろうとして死んだわけではなく、エヴァとシンクロしようとして亡くなったのです。二人はあくまで"エヴァのコア"という人の魂を搭載したものとパイロットをいかにシンクロさせるかという研究の犠牲者でしかないんですよね。
で、この事について面白い考察をしていた人がいたので作者の解釈も交えつつ紹介します。
それが
「これら尊い犠牲の結果、パイロットとエヴァを安全にコネクションするために、生体コンピュータによって"パイロットの母親を機械的に再現する"という仕掛けが生み出された」
というものです。
前の考察記事でMAGIは人の人格を再現した生体コンピュータであり、その技術はエヴァの操縦にも使用されていると述べました。ここでエヴァのパイロットは全員母親がいないということを思い出してください。結論ありきになりますが、エヴァのパイロットに母親がいないのは、パイロットにその機械的に再現された母親を違和感なく受け入れてもらうためと考えれば辻褄が合います。生体コンピュータが作る母の人格を違和感なく受け入れることが、エヴァとパイロットの間でいわば緩衝材になり、それがエヴァの起動に必要だということです。(実際、それを母だと思いこむことができたので弐号機とアスカのシンクロはめちゃくちゃ高くなりました)
またシンジくんのクラスメイトが全員パイロット候補生というのもこう考えれば理解しやすいです。つまり母親がいない学生のうち、その母親の情報が十分にそろっている(=人格の機械的再現が可能な)学生が集められているというわけです。
さて、こうして覚醒した弐号機は戦略自衛隊を相手に無双していきます。
これじゃまずいということでゼーレは戦自に続いてエヴァシリーズ全9体をネルフに送り込みます。こうしてエヴァ対エヴァの戦争が始まるのです。
弐号機の敗因
弐号機 vs 量産型9体の戦いは圧倒的に弐号機の優勢で進行します。
ところが戦闘終盤、最後の一機を倒そうかというときになって突然量産型の両刃剣(プラモデルの解説書でそう呼ばれてた)がどこからともなく飛んできます。最初はATフィールドでこれを防ぐ弐号機でしたが……。
すると倒したはずの量産型がなぜか復活して……
ここは初めて映画を見た人はなんで????ってなるところだと思います。
結論から言うと弐号機は量産機を一体も倒せていなかったわけですが、弐号機の敗因ははっきりしています。
それは量産機のコアを破壊していなかったからです。
それが分かりやすいのが量産型最後の一機を倒そうかと言うこのシーン。
量産型は初号機や他の使途と同様にコアを持っているのが分かります。使途を倒すときは散々コアだけを狙えと教育されてきたはずのアスカですが、冷静な思考のできないこのときのアスカはそのことをすっかり見落としていました。使途はコアを破壊しなければいくら肉体を破壊しても死にません(1話)。エヴァ量産型も使途と同じくS2機関を搭載しているのでその点は同じです(旧劇考察③参考)。ここから明らかに量産型は死んだフリをしていたんだということがわかります。実際、まともに向かって行ってもフルパワー弐号機相手では量産型は手も足も出ませんから、そこで適度に戦って適度に死んだふりをして、弐号機の充電が切れるのを待っていたのです。こう見えてかなり狡猾な奴らなんです。
ところが弐号機の充電が切れる間近の惜しいところで最後の一体がコアを破壊されそうになってしまいます。後の考察で述べますがこの量産型はサードインパクトを起こすための重要なキーです。一機たりとも失うわけにはいきません。
そこで死んだふりをしていた量産型のうち一人が助け舟を出したというのがこの突然飛んできた両刃剣の正体だったんだと思います。
こうして量産型は狙い通り一機もかけることなく、最終的に弐号機は破壊されてしまいました。
今回のお話しはここまで。
邪魔者を排除した量産機はついにサードインパクト、人類新生の儀式に取り掛かります……!
なんで両刃剣がロンギヌスの槍に変形したの?というのは次回以降に。
→旧劇考察まご君編②参照
次回、エヴァ旧劇考察、いよいよ"まご君"編に突入です!!!!
*続きのお話し☟
今までのエヴァ関連記事のまとめ☟