飛翔する性【中編】

 遠い町でリサと出会った。
彼女はその町の小さな喫茶店でウェイトレスをしていた。その店は店内に大きな白いオウムを飼っていることで少しは有名な店だったらしいが、僕はそうとは知らずに喫茶店に入って、そしてそこのニコちゃんという大きなオウムに「イラッシャイマセ!」と出迎えられた。

 細かいことはもう覚えていない。彼女は目を白黒させている僕に声をかけ、席に導き、飲み物を勧め、それから……。
 とにかく、彼女は終始優しかった。

 僕が店を出ようとすると彼女は言った。
「触ってみますか?」
「え、いいんですか」
「はい、大丈夫ですよ。ニコちゃんは大人しいので。ねぇニコちゃん」
彼女がオウムに話しかけるとオウムはゴニョゴニョと半分人の声のような変な鳴き声を上げた。
「触ってみますか」
「……じゃあ」
鳥かごの扉が空けられるとオウムは彼女の手に飛び移った。白い大きな翼をバサバサと羽ばたたせて、その度に空気の塊が風になって頬を打った。
「賢いですね」
「そうですねぇ、オウムは凄く頭が良い動物なので。首の後ろとか羽の先っぽを撫でてもらえるとニコちゃんも喜ぶと思います」
恐る恐る翼の先に手を伸ばした。オウムは頭を前後に揺らしながら僕を見ている。指先が翼に触れた。柔らかい絹のような羽が僕の指の間を滑っていく。
「……すごい」
突然、オウムが「ニコチャン!」と大きな声を上げた。僕はあわてて手を引っ込める。オウムはさっきより激しく頭を前後に振って相変わらず僕の指先を見ていた。
「良かったねぇニコちゃん、触ってもらえてー」
僕が腕を下ろしたのを見て彼女はオウムを鳥かごに戻した。
「うんうん嬉しいねぇ」
ニコちゃんは檻の中でバサバサ翼を動かした。
「……喜んでますか」
「えぇ! とても」



 その次の日、僕もオウムを飼ってみたいんですと彼女に相談して、何も知らない僕はオウムがそんな何十万もするなんて思ってもみなくて、彼女はそんな僕を笑って、彼女の提案で僕はオウムより二回りほど小さいオカメインコを飼うことになった。
 僕はその新しい家族に翔くんという名前を付け、彼女はその後も親切に僕にインコの育て方や接し方を教えてくれ、やがて僕たちはプライベートでも顔を合わすことが多くなり、そして最終的に、僕は彼女の太股に蜘蛛の刺青があることを知った。


 リサと僕の間には共通の友人やコミュニティのようなものが全く無かった。2人の間にはニコちゃんや翔くんのこと、それから2人で行った場所やそこで話したり聞いたりしたこと、2人がゼロから共有したことしかなかった。リサの前では僕は僕の知る僕であって、それは普通の一人の人間であり、男であり、それ以上でもそれ以下でもなく、『そんなことするんだ、意外』と僕に言う人間はどこにもいなかった。


 自分はみんなと違うから、特別だから、別にいいんだという言い訳をするようになったのはいつからだっただろう。そう言うとすごく楽になったし、当時の僕はそう言わないではいられなかった。でも、それじゃ孤立していくだけということを心の底では分かっていたんだと思う。だから、そんな言い訳をしなくて済む彼女との関係は心地よかった。


「え、結局蜘蛛にするんだ」
「うん」
「なんで?」
「タトゥーの蜘蛛にはさ、幸運って意味があるんだ。それが気に入った。幸運の蜘蛛だよ」
「ふぅん」
「それにね、やっぱりリサのタトゥーが一番クールだ。その蜘蛛を見たとき僕はこれこそ僕の探してたタトゥーだって思ったくらい。僕が彫りたいと思ってたタトゥーをリサはどういうわけか初めから持ってたみたいに。すごいドキドキしたんだ」
「あはは」
「だから僕も蜘蛛を彫る」
「面白い。あなたが望むものをあたしが初めから持ってたってわけね。オウムのときもきっとそうだったんじゃない」
「ん?」
「オウムを飼うことがあなた自身の望むことだったんでしょ。あたしを見てあなたはその自分の気持ちに気付いて、だからあなたもオウムが欲しいなんて急に言い出したんだわ」
「……そうかもしれない」




 初めてリサと会ったあの日の晩、僕はニコちゃんが鳥かごの中で羽ばたいているのを思い出していた。ケージの扉が開けられ、彼女の華奢な手が優しく差し出される。ニコちゃんが彼女の手に飛び乗る。白いなめらかな肌を鳥特有の黄色い細い足が強く掴む。彼女はもう片方の手でニコちゃんの翼や首もとをそっと撫で、「ニコちゃんニコちゃん」と赤子に話しかけるみたいに呼び掛ける。
……。

 そしてその次の日、僕は彼女にオウムを飼いたいと相談に行ったのだった。
 自分が望んでいたものとはなんだったんだろう。オウムを飼うことの何が僕をそんな風に突き動かしたんだろう。そのときの感情を僕はよく知っている。蜘蛛の刺青を入れることを決めたあのときと同じだ。鯨の死体を見に行ったあのときの胸騒ぎと同じなのだ。

 だけど、その気持ちの正体が一体何なのかそのときの僕には何も分からなかった。ただ胸の辺りがざわざわしてじっとしていられなくなる。そう言う他どうしようもなかった。




前の話『飛翔する性【前編】』↓
http://tomaonarossi.hatenablog.com/entry/2019/03/10/044557


続き『飛翔する性【後編】』↓
http://tomaonarossi.hatenablog.com/entry/2019/04/09/141526