エヴァ旧劇考察④碇シンジと綾波レイの話
エヴァ旧劇考察第4段です。
今回のテーマは
"ゲンドウとシンジの関係"と"レイの肉体について"です。
前半は世界観の考察にはほとんど関係ないのですが、「エヴァのキモは世界観考察ではなく、本来はその上にある人間ドラマなんだッッ!!!」ということを筆者は強く主張していきたい所存なのでそういう人間性の話もここではやっていきます。
前回のお話しはこちらから☟
目次
リリスの下半身はいずこへ
そう言えば前回、初号機の話で一つ言い忘れていたことがありました。
初号機はアダムではなく
このことに関してネット上で見つけた考察があります。それが「リリスに下半身が無いのは初号機を作るのに使ったからだ」というものです。これを聞いたときは突飛で笑っちゃいました。
確かに、ロンギヌスの槍はセカンドインパクトの時南極にあったのに、その後はなぜかリリスの胸に刺さっています。これはひとりでにそうなったわけなく、「誰かが南極から運んで意図的にリリスに刺した」んです。なんのためでしょうか。
エヴァ考察②でロンギヌスの槍は「ATフィールドを破る=肉体の形成を阻害する」という趣旨のことを書きました。もし、ロンギヌスの槍でリリスの下半身の再生を防いでいるとしたらどうでしょう。(実際、テレビ版で零号機が槍を抜くとリリスの足が生えてきました)
そもそも、リリスに元から足が生えていなかったということは考えにくいです。リリスにはもともと足があったはずです(槍抜けば足生えたわけですし)。ではその足はどこにいったか? ということです。人間が使ったというのが妥当でしょう。何かの研究か実験かはわかりませんが足が無くなった後、槍を刺したのは人間なんですから。
そして劇中、リリスが関与したと言われているのは唯一、初号機だけです(前記事参照)。となるとここにつながりがあると考えるのは不自然な話じゃ全然ありません。面白い考察だと思います。
【2021/1/19追記】
ですが結論から言うとこれは間違っていると言わざるを得ません。セカンドインパクトの後、南極に放置されていたロンギヌスの槍はテレビ版12話になってようやく回収されました。リリスに槍を刺して磔にしたのは第14話です。この時点で初号機はとっくに完成してますからね……。
シンジくんは望まれて生まれてきた子供なのか?
さて、話を本筋に戻します。セカンドインパクトの後、エヴァを建造する過程でユイさんを失ったゲンドウ。赤城ナオコいわく「この日を境に碇所長は変わったわ」(21話)ということです。今まで以上に無口で不愛想になったゲンドウの姿が目に浮かびます。
この直後からゲンドウは「人類補完計画」(ゼーレの最終的なイメージとは異なる形のもの)を推し進め始めます。またこの時期に彼は実の息子を手放しています。
それがユイとゲンドウの息子、碇シンジです。物心ついて間もない彼の心はこのことで深く傷つけられてしまいます。
テレビ版第1話でシンジくんはゲンドウと久しぶりの再開を果たすわけですが(3年ぶり)、そこでシンジくんはこう言います。
「何をいまさらなんだよ。父さんはぼくがいらないんじゃなかったの!?」
この言葉からも決して生優しい別れではなかったことが容易に想像できます。劇中では「ぼくはいらない子なんだ」という意味合いの言葉がシンジくんの口からこぼれることもたびたびあります。シンジくんの精神的な不安定さは全てこのときのトラウマに端を発していると言っていいでしょう。
このことによってシンジくんは随分臆病な子供になってしまったようです。赤城リツコには「人の言われたことには素直に従う、それが彼の処世術」だなんて失礼な評価を受けます。
父と別れてからのシンジくんの生活ですが、彼いわく「先生のところにいた」そうです。里親というよりは孤児院かその類での生活というイメージでしょうか。また一時期チェロを習っていたという記述もあります。チェロなんて習うくらいですから貧しい暮らしではなかったようです。父がネルフ所長ですからね。
さて、ここで考えたいのは「なぜゲンドウは息子を手放したのか?」ということです。この辺りは無限に考察できるポイントだと思います。シンジとゲンドウの関係はエヴァファンなら必ず注目してほしいところです。
例えば、そもそもシンジくんは必要とされて生まれてきたのか? というような疑問があります。根拠はシンジくんの誕生日です。公式では2001年6月6日にシンジくんは生まれたことになっています。セカンドインパクトが起こったのは2000年9月です。セカンドインパクトのホントに直後(もしかしたら直前)にできた子供ということになります。タイミングが良すぎます。
セカンドインパクトで地球の環境は激変して、人口の半分が亡くなっています。冬月先生はセカンドインパクトの翌年を「地獄の1年だった」と評しています。そんなときに子ども作りますかね?
さらに、エヴァに乗れるのはセカンドインパクト後に生まれた子供だけというのもひっかかります。エヴァに乗せるために一刻も早く子供を作らねばならないという必要性に迫られてシンジくんが生まれたという可能性が見えてきませんか?
ですが、個人的には筆者はこれは無いんじゃないかなと思います。
シンジくんは愛されていました。
ゲンドウとユイの「名前決めてくれた?」「男の子だったらシンジ、女の子だったらレイと名付ける」みたいな仲良しシーンも作中では描かれていますし、少なくともユイさんはシンジくんを愛していたはずです。作中のユイさんにシンジくんを蔑ろにするようなそぶりはありません。ユイさんがエヴァに入る日、シンジくんをわざわざ研究所に連れてきたというのも愛情あってのことでした(旧劇考察③参照)
2人はもともとシンジくんをエヴァに乗せるつもりは無かったんじゃないかなと思います。エヴァに乗せるつもりだったらシンジくんを捨てはしません。テレビ版1話で
「レイでさえ零号機とシンクロするのに7か月かかった」
というセリフがあります。しかしシンジくんは使途が攻めてきた当日にネルフに呼び出されています。いくらシンジくんに初号機とシンクロする見込みがあるからって無茶ぶりがすぎます。これ、どう考えてもレイが実験でケガして(零号機暴走事故)エヴァに乗れないから仕方なく呼び出されたとしか考えられません。
それに対して綾波レイはどうでしょうか。「女の子だったらレイと名付ける」と言ってるくらいですから、レイはゲンドウにとって娘のような存在です。またレイは愛するユイのクローンであることが劇中で示されています。つまり、ゲンドウにとってレイはありえないくらい大切なのが明白なのです。しかし、レイは明らかにエヴァに乗るために"作られて"いるのです。(エヴァに乗る以外にもレイには"役割"があるようですがそれはまた別の機会で触れます)
実の息子は自分の元から遠ざけ、代わりにエヴァに乗せるために作った娘には愛情を注ぐ。これは一見奇妙な屈折です。
みなさんはどう思いますか。
ゲンドウはなぜシンジを手放したのか?
漫画なんかではそもそもゲンドウはシンジを憎んでいたって解釈がなされています。ユイさんの愛情を一心に受けるシンジが妬ましかったんですって。まあ、そういう解釈も可能ですよね。愛がないので筆者はあまり好きではありませんが。
筆者はゲンドウなりにシンジを思ってと解釈します。根拠はゲンドウのこんな言葉です。
「俺がそばにいるとシンジを傷付けるだけだ。だから、何もしない方がいい」(まごころを、君に)
ユイを失ったゲンドウ。邪魔になった赤城ナオコ博士を死に追い詰めたり、ゼーレから胎児アダムを奪ったり、自分の計画のためには手段を選ばない男になりました。ゲンドウはそんな姿をシンジに見せたくなかったんじゃないかなと筆者は思います。
ゲンドウはリツコいわく「不器用な人」ですから、単純に父としての息子との距離感を測り損ねていたということもあるでしょう。ですが、手元に置いておいて今後のごたごたにできるだけ巻き込みたくなかったというのが大きい気がします。なんてたってシンジはユイに愛されていたのですから。ユイの愛したシンジを自分の汚れ仕事に巻き込むのには罪悪感を感じるはずです。
もっとも、単純に仕事が忙しくてシンジに構っていられなかったってだけかもしれません。その場合、ゲンドウは典型的な家族を顧みれない仕事一辺倒の人間ということになってきます。
まあ、この問題に答えはありません。きっとどれも少しずつ正解で、どれも少しずつゲンドウの本質なのです。先にあげたゲンドウの言葉を根拠にするなら、考えあってゲンドウはシンジを手放したんだと筆者は思いたいですが。
しかし、たとえゲンドウに考えがあったとしても、それでシンジくんが深く傷ついた事実は変わりません。シンジくんは結構ガチで父親のことを嫌っていたと思います。父親に褒めてほしい認めてほしいという感情もあるにはあったのでしょうが、シンジくんの中のゲンドウは基本的に"嫌いな人"です。どのくらい嫌いかというと、サードインパクトの時、シンジくんの願いによって人類が補完されるのですが、ゲンドウただ1人だけ嫌われすぎて補完されなかったくらいです。
子どもを傷つけるっていうのは実際それくらい酷いことなんでしょうね。これはエヴァが教えてくれる人生の本質情報の1つです。
もう一人の子供、レイ
さて、シンジくんにはそんな風に辛く当たってしまうゲンドウでしたが、彼はレイのことは溺愛しています。零号機暴走事故が印象的ですね。零号機の起動実験でエヴァが暴走し、その際にレイは大けがをしてしまいます。(そのせいでシンジくんを呼び戻さないといけないことになりました)
しかし、レイはあくまで計画のために"作られた"子どもです。水槽の中にレイの肉体がいくつも浮かんでいるシーンが印象的ですね(23話)。
このシーンは意図的に"不気味に"描かれていますね。不自然ってことです。レイは劇中2回死ぬシーンがありますが、その後もレイが平然と復活しています。"レイの代わりがいくらでもあるから"です。しかしどうやら魂は一つしかないようです。リツコいわく
「ここにあるのはダミー。そしてレイのためのただのパーツにすぎないわ。(中略) 魂の入った入れ物はレイ一人だけなの。あの子にしか魂は生まれなかったの。ガフの部屋は空っぽになってたのよ。ここに並ぶレイと同じものには魂がない。ただの入れ物なの 」
ということです。要約すると
レイは肉体の代わりはたくさんあるが、魂は1つしかない。
ってことです。ガフの部屋ってなんぞ?っていうのは次回の考察に回します。ポイントは肉体が変わるたびに記憶も無くなるということです。考えれば当たり前です。体が違えば脳みそも別物になるわけですからね。
実際、23話で復活したレイは以前の記憶を失ってしまいます。しかし、ここで以前のレイと新しいレイが完全に断絶しているかというと、そうではないというのがミソです。それは復活のあとレイがゲンドウの眼鏡を見て「初めて見たはずなのに、初めてじゃない気がする」と言って涙を流すシーンから分かります。記憶は無いが知っているというのは"魂の記憶"というべきものがあるということを意味します。
この"エヴァ旧劇考察"では「エヴァの世界で肉体と魂は別」ということを繰り返し述べてきました。そしてその魂というのはどうやら決して個人個人の固定的なものではなく、経験と共に少しずつ変化していく可塑的なものということです。
ここ、筆者の好きなポイントです。
このことがゆくゆくサードインパクトの運命をも変えていくことになるのですが、それはまた別の機会に述べるとしましょう。
ちなみに、wikipediaなんかだとレイの記憶は定期的にバックアップが取られて他のレイにも共有される的なことが書いてあるのですが、これはどうかなと思います。少なくとも3人目のレイはゲンドウの眼鏡の記憶(零号機暴走事故の記憶)がないわけです。もう16番目の使途まで倒してて、最初の使途が来る前のことを覚えてないって……記憶のバックアップほぼ全くやってないじゃないですか。「記憶のバックアップ」なるものが技術的に可能だとしても、その知識はこの作品の理解には全く役立ちません。エヴァ考察にはこういうよく分からない解説もたくさん存在します。
でも、作品そのものに準拠しない、ソースもよく分からないトンデモ情報がこんなにたくさんまことしやかに囁かれているアニメってエヴァの他にはないんですよね。そこがエヴァの深みというか、面白みの1つでもあるなと筆者は思ってます。
ちなみに意味の分からないトンデモ解釈に出会ったりすると筆者は大興奮です。
【2021/1/24 追記】
マルドゥック機関について
マルドゥック機関はエヴァのパイロットを選抜する(たったそれだけのための)組織です。テレビ版15話ではスパイ活動をする加持さんによってこの組織は実はゲンドウによって操られているということが判明します。
ここ、実はかなり重要なシーンなんです。というのはこれはゲンドウがゼーレに対抗する切り札としてレイを用意しているということを示唆するからです。このシーンはわざわざマルドゥック機関という隠れ蓑を使ってゲンドウはレイをパイロットに選んだということを意味します。問題は誰から隠れる必要があったのか?ということです。これは恐らくゼーレの目を欺くためです。テレビ版23話では
冬月「しかしレイが生きていると分かればキール議長らがうるさいぞ」
というセリフがあります。零号機が第16使途との戦いで自爆したことでレイは死んでしまいました。これはゼーレも恐らく分かっていることでしょう。しかし、その後もレイが生存しているということはどうやらゼーレは把握していないようです。ゲンドウは明らかにゼーレに隠れてレイを作っているんですね。ここからゲンドウはレイを使って何かゼーレの意思と反することを企んでいるということまで推測することができます。じゃあゲンドウが何を企んでいるのかというのはまた別の考察で……。
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